天才になることを目標に生きてきた話。

どうも。

今回は自分の昔ばなしをしようと思う。

 

俺は個性が欲しかった。

あれは小学生の時だ。道徳かなんかの授業で、個性についての話が出たんだ。

それで自分の個性って何かって考えてたんだ。

 

その答えが自分には個性がない。そう思ったんだ。個性がほしい。だからそこから常に天才になろうとした。天才であれば将来きっと役に立つだろうと思って。

 

天才とはどんなものか決めた。天才とは真実を見抜くもの。本質をとらえることだと考えた。だから、勉強に重きは置かなかったが、授業中は真剣にやっていたし、常に天才ならどうする?そんなことを考え続けた。それは高校を卒業するまで続いた。

 

高校を卒業するまでいろいろ助かったよ。天才であろうとする姿勢のおかげで、自分で考えるし自分で解決する。勉強は相変わらずだったが、大抵は理解できていたと思う。

 

しかし、変わったのが就職してからだ。

それまでは、お金は大切だと思っていた。金持ちになってやると思っていた。

実際に働いて気づいたことがあった。お金があっても時間がなかったり、苦しいなら何の意味がある?と。

 

俺は就職して3ヶ月でやめた。やめるなら早いほうがいいだろうと考えてのことだった。

 

辛かった。天才であることは間接的には役に立つだろうが直接何か得られるわけではないことをそのとき悟った。

 

今はバイトをしながら実家で暮らしている。

何もうまくいかない。天才になろうとしただけあって、知識とその知識を使う力がついた。故に周りと関わることがだんだん息苦しくような感覚になった。話が合わなかったり、相手のことを気遣わなければならなかったり。わかるから逆に辛いというのかな。

 

今はもう天才になろうとなんて思わなくなってしまった。

今までは、なぜか天才であろうとしていたが、もうそんなことどうでもよくなってしまった。

 

今までは目標があった。自分の中の絶対的な目標。天才になること。

しかし、自分は天才になれない。むしろ、凡人。無個性。何もない。

凡人が悪いというのではない。心の喪失感がいつまでも消えない。

 

もしかしたら、自分は天才。もしくはそれに近しい存在だから、自分のほうが優秀何だと勘違いしていたのかもしれないな。

 

何が言いたいかというと、今まで天才になりたかったが、なれないことを悟り、目標を失ったということ。

 

もし目標。生きる意味を失ったなら、ただ生きるだけでもいいのかもしれない。

世界は前に進んでる。ゆっくりだが前に